聖セシリア小学校
季節のおたより
6月のおたより校長 渡辺 勝之 

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   枝をぐんぐん伸ばした枝に青々とした葉が生い茂り、校庭に心地よい木陰ができるようになりました。入梅の頃が梅の実の収穫期と言われますが、小学校玄関前にある梅の木が、今年もたくさんの実をつけ、梅雨の季節が近づいてきたことを感じさせてくれます。
   5年生の自然教室、青葉祭、マリア祭と盛りだくさんの5月でした。青葉祭は天候に恵まれ、多くの皆様をお迎えすることができました。当日の朝礼で「小学校の皆さんは、お客様をお迎えする側ですよ」と言われ、おもてなしの心を示そうとやる気満々の子どもたちでしたが、いざ青葉祭が始まってみれば、もう楽しいことに夢中です。お友だちやご家族とうれしそうに過ごす子どもたちの姿を微笑ましく感じました。
   聖母月を締めくくるマリア祭では、聖母の心に倣う恵みを願いながら祈りと献金を捧げることができました。「世界中の人々がみんな幸せになれるように・・・」という朝の祈りの一節を、より深く心に刻んで参加することができたと思います。神様が、世界の、特に困難な状況に置かれている人々を良い物で満たしてくださることを願って止みません。
   5月中旬、今年度の宿泊行事の先陣を切って5年生の自然教室が実施されましたが、今月はいよいよ6年生が、小学校生活最後の宿泊行事となる修学旅行に出発します。そして下旬には、3年生の森の学校が実施されます。様々な体験や仲間との交流を通して、心に残るすばらしい思い出をつくってほしいと願っています。
   さて、6月は“イエスの聖心(みこころ)の月”と呼ばれます。聖書には、不正に対して敢然と立ち向かう権威ある者としてのイエス様の姿、誰にでも分かる平易な言葉や譬えで人として歩むべき道を説く優れた教師としてのイエス様の姿が多く登場しますが、最も心を動かされるのは失意や悲しみのどん底にいる人と、一緒にいてくださるイエス様の姿ではないかと思います。『ヨハネによる福音書』には、イエス様が涙を流される場面があります。ベタニアという村に住むマルタとマリアという姉妹と、その兄弟ラザロの物語です。イエス様はこの兄弟姉妹ととても親しかったようですが、ラザロが病気で亡くなります。マリアは「主よ、もしここにいてくださいましたら、わたしの兄弟は死ななかったでしょうに」(11章32節)と言って、泣くのです。そして、イエス様ご自身も涙を流されるのです。人生の中で悲しい出来事はいろいろあるでしょうが、愛する大切な人を失うことほどつらく悲しいことはありません。そんな時、ただ傍に寄り添って一緒に泣いてくれる人の存在ほど心に沁みるものはないのではないかと思います。イエス様は、今もそのような思いで私たちと共にいてくださるのでしょう。限りない慈しみに満ちた“イエスの聖心”を思いながら、私たちも他者へのあたたかな思いを大切に過ごす日々でありたいと思います。
 

 
5月のおたより校長 渡辺 勝之 

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   青葉若葉の美しい季節を迎えました。始業式・入学式から1か月。小さな1年生も少しずつ学校生活に慣れてきたようです。「おはようございます」と、元気いっぱいに、登校して来る子どもたちの姿を見るのは本当にうれしいことです。校庭の木々にはいつの間にか青々とした葉が生い茂り、薫る風にそよいでいます。カトリック教会では伝統的に、5月を “聖母月” と呼び、聖母マリアに特別に親しむ月とされています。日本でもそうですが、ヨーロッパでも5月は新緑の美しい季節で、色とりどりの花が見る者の目を楽しませてくれます。きっと誰もが聖母の美しさにふさわしい季節と考えたのに違いありません。
   さて、教会の典礼暦では復活節が続いています。小学校では4月13日に復活をお祝いするミサに全校児童と教職員が与りました。ミサを司式してくださった大和教会の鈴木神父様のお話がとても心に残りました。「イエスの弟子たちが、イエスとの出会いによって変えられていったように、私たちもイエスとの出会いによってこれまでの生き方をよりよく変えていくことができる。それが復活の意味です。」というお話でした。妬んだり、憎んだり、意地悪をしたり、陰で悪口を言ったり、あるいは人の道から外れるような行いをしていた人間が、イエスとの出会いによって悔い改め、他者を愛する人間へと成長していったということこそが「復活」の意味なのだということでした。私たちは「復活」と聞くと、十字架につけられて亡くなったイエスが「生き返った」という、不思議な出来事にばかり気を取られがちですが、イエスが死を乗り越え、愛という絆においていつも私たちと共にいてくださり、そのイエスとの出会いによって私たちがよりよく変えられていくということこそが実は「復活」という出来事の大切な視点なのだと思います。人は愛されることによって、愛する人間へと成長していきます。「愛する」ということは、「人をよりよい人間へと成長させていく営み」と言うことができるでしょう。教育において、特に心に留めておきたいことです。
 

4月のおたより校長 渡辺 勝之 

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   新1年生とご家族の皆様を、新しいセシリアファミリーのメンバーとしてお迎えし、喜びでいっぱいの新年度を迎えることができました。
   私たちの学園はカトリック精神に基づいて「信じ、希望し、愛深く」を心の糧とし、「神を識(し)り、人を愛し、奉仕する心をもって広く社会に貢献できる知性をもった人間の育成」を建学の精神、社会的使命としております。聖セシリアでの出会いや体験が、お子様の生涯にわたる幸福の基となりますことを心から願っております。
   小学校時代は子どもたちの成長が著しい時期ですが、成長というのはつくづく積み重ねの結果であると感じます。家庭という集団の中で親やきょうだいと共にいることを覚え、幼稚園や保育園で友だちといることを覚え、そうした自分以外の他者に対する基本的な信頼という土台のうえに、小学校での生活が始まります。新年度は、とかく新しい生活への切替えやリセットといったようなイメージが伴いがちですが、実はそれまでに積み重ねてきたことと、これから迎える新しい生活をしっかりと連結してあげることが大切です。学校でも、この点に配慮しながら、お子様の健やかな成長を見守り、後押ししてまいります。たくさんの出会いと交わり、そしていろいろな体験を積み重ねて、聖セシリア小学校が子どもたち一人ひとりにとって「忘れられない思い出の刻み込まれた、大切な場所」になってくれることを願っております。
   今年は4月1日に復活祭を迎えました。世界中が喜びに包まれるこの時期、イエス・キリストが時代を超えて私たちに伝えてくださっていることに思いを寄せ、たくさんの恵みに感謝しながら、希望と喜びをもって新年度の一歩を踏み出して行きたいと思います。教職員一同、聖セシリアの教育精神を学校生活のあらゆる場面で実現していくことができるよう、努力してまいります。