朝の校庭は、舞い散るイチョウに光が当たりキラキラしています。その中を早く登校した子どもたちが走ったりボールを蹴ったりしています。待降節が始まり、校内にはツリーやリースが飾られました。
過日、国語演習の授業が終了した時「ああ疲れた、あっという間の時間だった」という声が聞こえてきました。私は顔には出しませんでしたが、内心「やった」と喜んでいました。
授業が終了したときに聞こえてくる「ああ、疲れた」の「疲れ」には、授業に真剣に参加できたことによって感じる快い「疲れ」と、授業がつまらなく45分間イスに座らされたと感じる苦痛の「疲れ」の2種類があります。本来、時に苦しさを伴いつつも思考することや実技することにはおもしろさを感じるものです。真剣にそのものと向き合うとき、私たちは集中し、緊張します。その緊張がほぐれたときに、快い疲れが訪れます。
学校の中心は授業にあります。快い「ああ疲れた」の声が聞かれる授業は年に何回もありません。
「凡庸な教師はよくしゃべる。よい教師は説明する。すぐれた教師は自らやって見せる。そして、偉大な教師は心に火をつける。」とはアメリカの学者William Arthur Wardの言葉です。その域に達するにはまだまだです。